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zoom RSS 折々の雑感127 高山彦九郎記念館講演会「『忍山湯旅の記』の跡をたどる」メモその5

<<   作成日時 : 2017/07/26 00:36   >>

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 彦九郎講演会メモの続きです。前回は忍山温泉に到着した後のことを書きました。今回も忍山温泉滞在中の話になります。

 彦九郎は温泉逗留中に蕪丁や唐松など忍山地内の集落をあちこち散策します。今回は、そのあたりのことを書こうと思います。

(7)蕪丁
@蕪丁入口(忍川に架かる木橋)

 忍山川の、蕪丁入口に架かる木橋と石積みの写真です。蕪丁の集落は忍山川左岸の山中にかつてあり、戦後の時期に住人がいなくなり、廃村になったと聞いています。この木橋は蕪丁集落があった当時のものではなく、後年に山仕事のために架けられたものと思われます。現在はほとんど朽ち落ちてしまっています。
 テキストには
「湯本の橋を渡りて川を右に見て三丁行きて欄干橋を渡る也、渡りて左り岩崖也、六地蔵有り、是レより六丁斗り東へ登り行きて蕪丁と云ふ所是レ忍山の中也、家七軒有りといふ、織屋三軒程あり」
とあります。
 彦九郎は、当時の蕪丁について、湯本から330メートルほど下った辺りに欄干のある橋があって、この橋を渡ると左は岩崖になっていて、六地蔵がある。ここから650メートルほど東へ登ってゆくと蕪丁という場所に出る。人家が7軒あるといい、織物をする家が3軒ある、と書いています。

A蕪丁入口の石仏

 蕪丁入口にある百庚申の文字塔です。「天明六 丙午 秋九月吉旦 講中」の銘があります。

B六地蔵

 日記の記述にもある蕪丁入口に祀られていた六地蔵です。現在は梅田町四丁目橋詰の長泉寺境内に移されています。

C蕪丁の集落跡、墓地など 5枚

 集落跡に残る石積みや墓石、石仏などの写真です。現在は顧みられることもなく、杉や桧の枯葉、枯枝に埋もれています。「天保五甲午十月」の文字が読める石仏もあります。

D蕪丁の山王宮跡

 蕪丁集落に祀られていた山王宮という神社の跡地の写真です。石積みの囲いのみが残っています。
 山王宮については『桐生市史別巻』に「安産、子育て、縁結びの神とあって、若い母親や娘の尊信をあつめたらしい」とあります。さらに「昭和四五年十月あらためて山王祠を踏査したところ、この年の夏八月に山王の尊像(いわゆる山王猿神)は既に所在を梅田四丁目橋詰の長泉寺境内に移したあとであった」 とも書かれています。

E山王宮の猿神

画像
 現在、山王宮の猿神は、長泉寺境内(山門を入って右手の場所)に、蕪丁入口に祀られていた六地蔵とともに置かれています。山王宮の猿神像は高さ約50センチで、ベンガラで紅く塗られています。猿の面貌はなく、人面のように見えます。
 また『桐生市梅田町の民俗』の「信仰」の章のうち「山王さま」の項に「山王さま 忍山の蕪丁にある。下の病に霊験があるという。ご神体はサル。おまつりの日は特にない。お願いをかけるときには、男根(木でつくった)をあげるからなおしてくださいという。(橋詰)」との説明があります。いわゆる性神の一種と思われます。

F山王宮の猿神(みどり市小平町茂木地区)

 みどり市小平町茂木地区にも山王様のお堂があり、蕪丁山王宮の猿神と同じ像容の猿神像が祀られています。長泉寺に安置されている山王宮猿神像は布をまとっており、性神としての像容が分からないため、参考として、茂木の山王宮猿神の写真を表示しました。

G蕪丁の集落跡、石祠、竹やぶなど 3枚

 集落跡に残る石祠や竹やぶなどの写真です。「文化六年 巳十月吉日」の銘が刻まれている石祠がありました。竹やぶの写真をなぜ表示したかといえば、山中の奥深い場所に竹やぶがあるのは珍しい光景に思えたからです。一般的に竹やぶがあるのは集落の裏山など人里に近い場所、つまりは人の生活が色濃く感じられる場所であり、人里離れた山深い植林地のなかに竹やぶはまず見当たりません。竹やぶの光景が、かつて人の暮らしがそこにあったことを証明しているかのように感じらたわけです。
 先ほど引用した『桐生市史別巻』「蕪丁の山王祠と山神宮」の項に以下のようにあります。
「太平洋戦争の直後までは、蕪丁は人家も二戸程残り」、「いまはこの里は全くの廃墟と化し、屋敷あとには竹林がありし日の名残りをとどめ、何程かの草花が、雑草の茂みに押しひしがれて咲いている。植林された居宅のあとは、昼も小暗い杉の木立ちの中に崩れのこった石垣が、人の歴史のあわれを物語っている。また散在する墓石なども痛ましい姿である」
 蕪丁の集落跡を目にする以前には『市史」の記述にしては感傷めいた文章だなと思ったのですが、ここに引用したのは、人気のない廃村跡に実際に立ってみると、筆者も同じような感慨にとらわれたからなのです。

H蕪丁の山神(やまがみ)社

画像
 蕪丁の山神社の石祠です。蕪丁の山神社は、集落跡から奥へ進み、斜面を登った尾根上の一角に鎮座していました。いまは忘れられ、取り残された神社です。
 彦九郎は「(蕪丁より)少し帰りて西北へ登りて山神有り、ここにしハらく石に腰打懸けて休ひ西南の方我が宿り抔も目下に見ゆ、景よし」と記します。蕪丁を後にして唐松へ向かう途中で山神様の近くの石に腰をかけて休んだ、と書いています。かつては蕪丁集落と唐松集落を結ぶ道があり、その道は尾根越えの道であって、件の山神社は、その途上の、尾根の頂点に位置していたようです。
 『桐生市史別巻』「蕪丁の山王祠と山神宮」の項に「山神は、蕪町と忍山湯本の間の山頂部に今なお存し」「蕪丁から山越しに唐松に出て、忍山湯本に達する路は、現在ほとんど廃絶しているが、かすかな踏跡をたどると、けわしい尾根の上に小石祠があり、その前の平坦地にはささやかな墓地も残存する」とあります。

(8)唐松
@唐松に向かう道(桐生市梅田町、以下A〜C同)

 唐松に向かう沢筋に残る木橋の写真です。この木橋は山仕事に使われていたもののようです。
 唐松とは、忍山地内にかつてあった集落の名前です。唐松も忍山川の左岸にありました。蕪丁と同じく廃村になっています。
 テキストには
「是れより山越にして凡ソ六丁唐松へ下る道にて左り薬師堂見ゆ、唐松は谷間に家七軒有り、是レも忍山の中也」
とあります。
 彦九郎は「蕪丁から尾根を越えて約650メートルほど、唐松へ下る道の途中で左側に薬師堂見が見えた。唐松は谷間に人家が7軒ある」と書いています。薬師堂とは、忍山温泉神社にある薬師堂でしょう。唐松から沢筋を西に下ってゆくと、湯本の、昔、忍山館を営んでいた旧家の前に出ます。忍山温泉神社は旧忍山館のすぐ隣であり、彦九郎による当時の描写と現在の状況を比較すれば、地形や建物の位置関係は確かに一致することになります。
 この部分に限らず、彦九郎による距離や方角、位置関係などの記述は、かなりの精度で現況と一致し、驚かされると同時に感心させられる場面が多々あります。

A唐松集落跡の石積み

 唐松集落跡へ向かう途中で石積みの跡が見られました。

B唐松集落跡の石仏

画像
 集落跡には多くの石仏が残っています。写真は双体道祖神でしょうか? 状態も良く、像容は、殊の外、美しいです。ほかに庚申の文字塔や馬頭観音、六十六部供養塔などがあります。明和、安永、天明などの年号が刻まれています。
 六十六部供養塔には、台座正面に「六十六部 奉造立中供養佛」、台座側面に「于時 天明元丑 仲秋吉日」「宿 前原甚右衛門」「願主 備中浅口郡柏島村 助力 唐松村中」などの文字が刻まれていました。「備中浅口郡柏島村」は、現在の岡山県倉敷市にある地名です。天明年間に、はるか備中国のほうから桐生忍山唐松の地に六十六部が行脚してきていたということなのでしょうか。

C唐松集落跡

 集落跡に見られる平坦地。
 石仏が祀られた場所から少し進むと、植林地の中に階梯状の平坦地や石積み跡が見られます。この辺りが唐松集落の跡地で、平坦な場所は住居あるいは耕作地の跡でしょうか? 平坦地から沢を渡ると墓地の跡なのか、倒れた墓石が点在している場所がありました。

(9)赤粉、大茂
@忍山林道現況 2枚(桐生市梅田町、以下A、C〜G同)

 忍山林道の、大茂より奥部の景観を写した写真を2枚表示しました。正確にどの辺りが赤粉なのか、はっきりと分からないのですが、赤粉近辺の現況を示すものとして、忍山林道奥部の写真を表示しました。
 テキストには
「北の方赤粉迄至り玉ふ」
「大門より猶北に川を彼方此方に渡り行きて赤カごなとて人家二軒有り、一軒は空家なり、薬師堂より大門まで半里大門より赤ごな迄半里薬師より北なり」
と記されています。
 彦九郎の記述によれば、赤粉は大門(大茂)より約2キロほど北に位置することになります。彦九郎が訪れた当時に人家が2軒あり、そのうち1軒は空家であったようです。

Aつつ坂(突坂)

画像
 つつ坂(突坂)。彦九郎が「七曲り八丁坂」と書いている峠道です。日記には以下のように書かれています。
「薬師より川にそふて北へ上り行く、七曲り八坂と云ふ坂を越ゆ…七曲りを登りつめて切通し也、岩の高サ壹丈四五尺」
「湯泉の前より川を右にして三四丁北に上りて行きて坂に懸る、是レより川に少しく遠さかる、坂の上り四丁斗り七曲りとてまかり七ツ也、上りつめて切通し有り、岩壁の高さ壹丈四五尺横壹間斗り通り五間斗りなり、此ノ坂を七曲り八丁坂といふ」
 湯本の薬師前から川を右手に見て330〜440メートルほど北に登ってゆくと坂にさしかかる。ここから川は少し遠ざかり、登りは440メートルほどで、七曲りという名の通り屈曲が7か所ある。登りきると切り通しになっている。(中略) ここの坂を七曲り八丁坂と呼ぶ。

 『桐生市地名考』では「土坂(ツツサカ)」、「土はツキ(盡)の転。七曲八丁坂(湯旅の記)ともいう。山麓が崖になっている忍山川へ落ち込んでいるわずかの間を通っている坂道」とあります 。島田氏は「土坂(ツツサカ)」としていますが、筆者を当地に案内していただいたY氏(桐生近辺の山や石仏、石祠などに精通されている)によれば、地元で聞き取りをしたところ、この峠道は、「突坂」という字をあて、「つっさか」と発音するらしいです。
 忍山川の両岸が急崖になって川沿いの通行が困難であったため、川から離れ山側に迂回しながら急崖を乗り越えている坂道のことです。 坂の上は切通し状になっており、切通し部に馬頭観音があります。この馬頭観音像には「宝暦三酉年 初秋吉祥」の銘が読めます。

B大茂地図 2枚(5万分の1地形図『桐生及足利』昭和27年、現2万5千分の1地形図)

 忍山大茂付近の地形図2枚を表示しました。昭和初期のものと現在のものを表示し、比較しました。

C大茂の石仏

 大茂にある庚申塔と地蔵像の写真です。庚申塔には「天明六丙午年 九月吉日」、地蔵は二基あり、それぞれに「文化五」、「文化二乙丑年」などの銘があります。
 テキストには 
 「此所川に少し遠く坂を下りて又タ川を右にして行きて橋を渡りて川を左に見てまた橋を渡り川は右なり大門といふ所なり、家七軒此処岩松多フし是レよりは山けハしふして…」
とあります。彦九郎が訪れた当時、大門(大茂)には人家が7軒あったようです。この付近は山が険しい、と書いています。

D大茂の旅館跡

 大茂にあった温泉旅館「山光館」の跡。この「山光館」は『忍山湯旅の記』に書かれるいわゆる忍山温泉とは別の温泉旅館です。この旅館は昭和五十年ごろに廃業したと聞きます。

E大茂峠(大茂〜高沢) 2枚

画像
 大茂峠といって大茂と高沢を結んでいた峠道です。写真は、高沢側より峠のある尾根を写したもの。現在は道跡などは見当たらず、峠の痕跡を明確に識別することはできません。
 日記に「大門人家の辺左こう澤道有り」(大茂の人家の辺りに左側に高沢へ行く道がある)という記述があり、ここでいう「こう澤道」(高沢への道)とは大茂峠のことと推測されます。

F忍山トンネル(林道梅田小平線) 2枚

 忍山トンネルの写真です。現在、大茂峠の下には忍山トンネル(林道梅田小平線)が作られています。

G大茂沢工事現場 2枚

 大茂沢の工事現場の写真(2014年1月撮影)です。筆者が大茂峠を訪れた2014年1月当時、この付近は林道や沢の工事が進められていました。大茂峠道の大茂側は沢の工事により消滅していると思われます。

H桐生市北部の旧峠道地図(筆者作成)

画像
 『桐生市梅田町の民俗』に梅田町内の交通路として以下の5つの経路が挙げられています。
1 藤生山より勢多郡東村座間へ、 2 上藤生より同草木へ、 3 落合から貝沢(皆沢)を経て飛駒へ、 4 高沢より川内村の奥へ、 5 オシャマ(忍山)より東村神土(神戸)へ。
 5の忍山川上流域からみどり市東町座間に下る峠の名称は不詳ですが、『群馬の山1−尾瀬・武尊・渡良瀬川流域−』(P186〜188)「残馬山」に「古い5万分の1地図の『足尾』には、大茂峠越えの道が記入されているが現在は見ることが出来ない」と書かれています。「大茂峠越えの道」とあり、忍山川をさかのぼり座間方面へ抜ける峠道があったことが示唆されています。

 忍山から大茂峠や花輪を経て足尾街道を通り足尾に至る道について彦九郎は
「赤ごなよりあしう(足尾)迄六里、赤ごなより人家絶たる所を経る事二里にして足羽(足尾)路へ出づ、是レより壱里にして花輪也、花輪より三里あしう也」
(赤粉より足尾まで約24キロ、赤粉から人家が絶えた場所を約8キロほどで足尾街道へ出る。ここから4キロで花輪である。花輪から約12キロで足尾に着く)と記しています。
 8月12日の記述には「是レより日光道は十二里にてここより二里の間人家もなき山路を経て足羽街道へ出るとて、是レより壱里にして花輪其レより三里にして足羽也、赤ごなより足羽迄六里皆ナ北也と云ふ」
(赤粉から日光道中は48キロで、赤粉より8キロの間、人家のない山道を経て足尾街道へ出るということだ。ここから4キロで花輪、花輪から12キロで足尾である。赤粉から足尾まで24キロ、ずっと北に向かうという)とあります。
 こうした彦九郎の記述から、江戸時代には忍山川上流部から北に峠越えをして足尾街道に出る道があったことが分かります。そこから花輪〜足尾を経て日光へ行く道として使われていたらしいこともうかがえます。

 話が長くなってしまいました。以上が忍山温泉滞在中の話になります。次回は雷神岳(なるがみだけ、現在の鳴神山)登拝について書こうと思います。

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