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zoom RSS 折々の雑感126 高山彦九郎記念館講演会「『忍山湯旅の記』の跡をたどる」メモその4

<<   作成日時 : 2017/07/22 00:52   >>

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 彦九郎講演会メモの続きです。今回は忍山温泉滞在中のことを書きます。ただし雷神岳(鳴神山)へ登拝した話は除きます。雷神岳登拝については次回以降に別に項を立てて説明します。

 なお、テキストには天満宮を後にしてから忍山温泉に到着するまでの道中の様子も書かれているわけですが、忍山温泉〜桐生新町間については、忍山温泉逗留後に細谷へ帰る際も同じ道を歩いており、帰路の日記にも道中の様子が克明に記録されています。この区間のことについては、帰路の日記を説明するときに同じく言及することになるので、ここでは省略します。天満宮から忍山温泉へと話が飛ぶことになりますが、ご了承ください。

(5)桐生新町から忍山温泉
@中居橋と忍山川(桐生市梅田町、以下A、C同)

 忍山入口の中居橋から見下ろす忍山川の写真です。
 テキストには
「橋を渡りなして忍山道へ入り橋を渡りて川を左に見る」
とあります。「橋を渡りて川を左に見る」とありますが、この後、数回、橋を渡って川の右岸と左岸を行き来しながら湯本まで歩いています。現在の忍山地区の道路は、大半が川の右岸に付けられています。彦九郎が歩いた時分と現在では、道の付き方は、当然違っているだろうと思います。

A忍山川の景観 2枚

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 忍山川の流れ、渓相の写真を2枚ほど。彦九郎は、忍山川の様子について
「忍山は澤の音ト恰モ雷雨の如し、川も山魚(ヤマメ)と云ふ魚多フし、外はうなぎ少しくあり小ばやもすめり、水早ヤけれハ魚すくなし」
と書いています。忍山川は、水流の音がまるで雷雨のようであると描写しています。

B白幣宮一の鳥居(忍山入口)の絵図(『根本山参詣路飛渡里案内』より)

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 ここで『根本山参詣路飛渡里案内』から「白幣宮一の鳥居(忍山入口)」の絵図を引用しておきました。『根本山参詣路飛渡里案内』(安政6年)に「二タ渡リ 白幣宮一の鳥居 湯元清兵衛」の図があります。図中の説明文字に 「白幣宮一の鳥居あり、山みち二十丁行、忍山温泉湯元清兵衛宅」と書かれています。白幣(しろべい)宮とは、忍山川上流の山中にかつてあった残馬山神社のことです。
 また図中の道しるべに 「右 根本山道 左 湯元ミち」と書かれていることから、白幣宮の鳥居は、根本山道と忍山道の分岐付近に置かれていたことが分かります。現在でいえば桐生田沼線から忍山地区を縦貫する市道が分かれる辺りと思われます。
 日記中(8月4日)に 「渡りて左五兵衛といふ湯本也、其南に続きて清兵衛なり、其南に続きて甚五右衛門也、皆湯本也」とあり、彦九郎が忍山を訪れた頃に湯本にあった湯宿の屋号(左五兵衛、清兵衛、甚五右衛門)が判明します。安政年間に忍山湯本あった「清兵衛」という名の湯宿は、安永年間の頃から存続していたことが分かります。(厳密には安政6年時点と安永4年時点に忍山湯本に「清兵衛」という名の湯宿が存在したという事実しか読み取れないわけだが、同じ「清兵衛」という屋号でもあり、「清兵衛」が代々続いていたと考えてもそれほど不自然ではないだろう)

C忍山湯本現況
 
 忍山湯本のいまの景観を写しました。かつて忍山館を営んでおられらた旧家を遠くより見たものです。現在も普通に住まわれているお宅なので、近距離で撮影するのは憚られます。
 彦九郎の日記(7月29日)には「三郎右衛門事今は吉右兵衛門といふ、先ツ今夜は本宅に寝ぬ」とあます。つまり彦九郎らは吉右兵衛門(三郎右衛門)宅の本宅に泊まったということになります。

(5α)残馬山神社
@白幣神社鳥居の礎石(桐生市梅田町、以下A〜C同)

 『根本山参詣路飛渡里案内』より「白幣宮一の鳥居」の図を引用したので、残馬山神社に関連する写真を数枚、提示します。まずは白幣神社鳥居の礎石の写真。この礎石は『桐生市史別巻』の「残馬山神社」の項にも写真が載っています。
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 残馬山神社(白幣神社)の石鳥居(忍山入口にあった)の礎石です。いまは忍山の大山祗神社に移されています。神社の手前に道路改修の記念碑が建っており、その両わきに左右、二つの礎石が置かれています。(信仰の対象として意識的に安置されているというよりも、ただ置かれている、放置されているといったほうが正確かもしれない)

A残馬峡

 忍山川の上流部を残馬峡と称します。両側から岩壁が迫った函状の峡谷で、残馬山神社へ行く途中にあります。

B鉄鎖の銘板

 残馬山神社の周辺には切り立った岩壁や急峻な岩稜が見られます。その岩稜に挟まれた谷に、おそらくは修験道の行場とされたであろう滝(現在、水は枯れている)があり、鉄鎖や鉄梯子が架けられています。その鉄鎖に下げられていた銘板です。左の板には願主の名前や村名(下久方村か?)、右の板には「奉納 大山祇命」と刻まれています。

C岩場に架かる鉄梯子

 旧残馬山神社近くに残る鉄梯子。いつ頃のものかは分かりません。

(6)忍山温泉神社
@弁天の小社 2枚(桐生市梅田町、以下A〜C同)

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 弁天社(忍山川の中に巨大な岩があり、その頂に祀られている)がある大岩と鉄はしごの写真です。それと岩の頂上に祀られる厳島神社。この石祠は古いもの(例えば江戸時代)ではなく、現在の新しいものです。近年に置かれたものと思われます。
 テキスト(8月1日)には
「湯本をさる事壹丁余にして右川中に大石の上に弁天の小社有り、はしごにて登る、木生ひて有り岩松なども生ひたり、下に岩屋有りとそ」
とあります。滞在初日の早朝に、せり石(猿石)の「さる石大明神」(猿田彦神社、現在は二渡神社)を参拝します。その帰り道での描写です。

A忍山温泉神社鳥居

 忍山温泉神社の鳥居の写真です。日記には「薬師前にて橋を又渡り越へて鳥井有り」と書かれています。

B忍山温泉神社薬師堂

 神社内にある薬師堂です。忍山温泉神社周囲の様子については
「石階を登る、石段の登りに左りは杢右衛門と云ふ湯本也、石段中腹右は湯本甚五右衛門離れ座敷なり、本宅は是レより北也、石階を上りて前殿左り湯水出る所有り、猶登りて左湯泉大明神の社右薬師堂二間四面皆東向也、登り壱丁斗り」
と記述されます。
「鳥居をくぐると石階があり、石段の左手には杢右衛門という湯本があり、右手には湯本甚五右衛門の離れ座敷がある。甚五右衛門の本宅は、その離れ座敷よりも北である。石階を上って前殿の左側に湯水の出る場所がある。さらに上って左側に温泉神社の社があり、右側には薬師堂があって縦横3.6メートルほどで、東を向いている。上りは109メートルくらいである」と説明しています。
 彦九郎日記における忍山温泉神社の記述と温泉神社の現状とを比較すると、、鳥居、石階、薬師堂、温泉井戸などの位置関係は、ほぼ一致します。
 
C忍山温泉神社石仏

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 温泉神社の境内に祀られる石仏の写真です。左から庚申塔(年代は不明)、馬頭観音像(元禄元(1688)年)、青面金剛像(享保19(1734)年)、地蔵像(文化7(1810)年)。石仏の種類と年号は『桐生市史別巻』の「忍山温泉神社」の項を参照しました。

D忍山温泉、温泉汲み上げ井戸跡 2枚

 かつて使用されていたらしい温泉汲み上げ井戸の跡地。鳥居より石段を登りきったところにあります。温泉神社の手前の場所です。(なお、温泉汲み上げ井戸跡地と湯本の現況写真は、折々の雑感122 高山彦九郎記念館講演会 「『忍山湯旅の記』の跡をたどる」に掲載していますので、そちらを参照願います)

 今回は、雷神岳登拝を除き忍山温泉滞在中のことをすべて書く予定でいましたが、全部書くと長くなりそうなので、今回はこの辺で終わりにします。次回も忍山温泉滞在中の話になります。彦九郎は忍山滞在中に数日かけて蕪丁、唐松、赤粉、大茂などを巡るわけですが、次回は、そのあたりのことを説明したいと思います。

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