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zoom RSS 折々の雑感123 高山彦九郎記念館講演会「『忍山湯旅の記』の跡をたどる」メモその1

<<   作成日時 : 2017/07/07 00:51   >>

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 高山彦九郎記念館講演会「高山彦九郎『忍山湯旅の記』の跡をたどる」(6月25日(日) 史跡金山城址ガイダンス施設)の講演メモです。

 まず当日に配布したレジュメ(内容に関する部分)を再録します。

2『忍山湯旅の記』の概要
(1)旅程図
(2)旅程略地図

3『忍山湯旅の記』の跡をたどる −踏査時に撮影した写真を見ながら−  
(1) 細谷から丸山  
(1α)石尊山、梵天上げ
(2) 丸山から松原の渡し 
(2α)賀茂神社の御篝神事
(3) 松原の渡しから桐生新町 
(3α)織物の道具・機械
(4) 桐生新町  
(4α)桐生新町重伝建に選定
(5) 桐生新町から忍山温泉  
(5α)残馬山神社
(6) 忍山温泉神社
(7) 蕪丁
(8) 唐松
(9) 赤粉、大茂
(10)雷神岳(鳴神山)  
(10α)オオカミ信仰の神社
(11)雷神岳(鳴神山)から忍山
(12)忍山から桐生新町
(13)赤岩の渡し
(14)赤岩の渡しから細谷

4資料・史料 −『忍山湯旅の記』に関連した資料・史料を見る−
(1)忍山の産業・産物と二渡村の家業調査(明治二年)
(2)彦九郎来訪時期の桐生における織物産業の状況
(3)赤岩の渡しの運営(船賃など)について
(4)松原の渡し難船一件(安政二年)について
(5)諸資料に見る忍山温泉
(6)桐生新町創設についての通説、およびその再検討
(7)鳴神山と雷神岳神社
(8)太田・桐生の諸街道

 「2『忍山湯旅の記』の概要」では、日記の記述を日毎にまとめた表(旅程図)と旅程略地図を示しながら『忍山湯旅の記』の概要を説明しました。使用した表は2006年11月5日に当ページにアップした表と同じもの(一部修正)です。
 旅程略地図は、道路地図上で彦九郎が通過した主な場所の地名に印をつけて線で結び、彦九郎が歩いた経路を大まかに示したものです。本来はオリジナルの地図を作成すべきですが、時間の余裕がなく、昭文社の道路地図を流用し、これを加工しました。

 「3『忍山湯旅の記』の跡をたどる −踏査時に撮影した写真を見ながら−」では、これまでに撮影した『忍山湯旅の記』に関係する場所の写真を表示し、日記の該当箇所と照合しながらその場所について簡単に説明しました。
 『忍山湯旅の記』に関係する場所とは、彦九郎が忍山温泉への往復時、あるいは忍山滞在中に立ち寄ったり通過したりした箇所、または遠望するなどした場所のことです。具体的には寺社や史跡、山稜や河川、町並みや通りなどです。それらの写真は、建物の佇まいや自然の風景、町や道沿いの景観を切り取ったものになります。寺社や史跡のほかに往時の状況を窺い知れるものとして石仏や道標、石祠などがあります。
 各項目の横にαとあるのは、『忍山湯旅の記』とは直接関係はないものの、間接的または補足的に関係する事柄や風景の写真です。プラスαといった意味合いです。準備はしましたが、当日は時間の制約から表示しなかったものも多く、いまになって思うと、特に必要なかったかなという気もします。

 「4資料・史料 −『忍山湯旅の記』に関連した資料・史料を見る−」では、『忍山湯旅の記』に関連するトピックを数項目設定し、それらに係る諸資料・史料を取り上げて紹介する予定でいました。
 これらの諸資料・史料を見ていくことで『忍山湯旅の記』に書かれた事項や内容をより深く味わうための助けにしようと考えました。しかし、当日は時間が足りず、この箇所の細かな説明までは至りませんでした。結果としてレジュメに添付した資料・史料について簡単に触れただけで終わってしまいました。

 またレジュメには「桐生市江戸時代町村図」(島田一郎『桐生市地名考』)を付しておきました。
 『忍山湯旅の記』に限らず彦九郎の旅日記には、町村名はもとより大字、字などの細かな地名まで含め当時の地名が詳細に記録されています。それぞれの位置関係や距離なども正確に、かつ細微にわたって記載されています。日記に書かれた地域の概要を知っておく(対象地域の地理を把握しておく)と日記の内容が理解しやすくなり、より面白く読めると思います。
 『忍山湯旅の記』を読むときに「桐生市江戸時代町村図」があると便利なので添付しておきました。江戸時代の町村名は、おおむね現在の町名や地区名として残っている場合が多いので、土地勘のある人なら地名を見ただけでおおよその位置は分かるとは思いますが。

 以下は「『忍山湯旅の記』の跡をたどる」で表示した写真、図表などの一覧です。

(1)細谷から丸山
@高山彦九郎宅跡地と解説板(太田市細谷町) 2枚
A鳥山町の通り現況
B金山山稜遠望
C如意輪観音像(道標)(太田市吉沢町)
D丸山全景(太田市丸山町)
E丸山宿現況(太田市丸山町) 2枚
F米山薬師(太田市丸山町) 2枚

(1α)石尊山、梵天上げ
@石尊山の幟旗(足利市小俣町)
A石尊宮(石尊山頂)
B梵天上げの様子 3枚

(2)丸山から松原の渡し
@新田掘り沿いの道(太田市吉沢町)
A庚申塔、馬頭観音石塔(太田市吉沢町)
B岩神様(石神明神)石窟(太田市吉沢町)
C賀茂神社鳥居(桐生市広沢町)
D太田頭首工(旧松原の渡し付近)(桐生市広沢町)
E松原の渡し絵図(『根本山参詣路飛渡里案内』より)
F東毛地域水系概念図(「水土里ネットまちやば」より)

(2α)賀茂神社の御篝神事 (みかがりじんじ)
@御篝神事の様子 7枚

(3)松原の渡しから桐生新町 
@白滝神社(桐生市境野町)
A境野町二丁目の通り
B機織りの動力に利用されていた水車(復元、天満宮境内)(桐生市天神町)

(3α)織物の道具・機械
@織物参考館“紫”外観(桐生市東)
Aかせ枠(織物参考館の展示より、以下B〜E同)
B高機(たかはた)
C八丁撚糸機(はっちょうねんしき)
D糸車
Eジャカード織機(しょっき)
F新宿の水車風景(明治末期)(『明治・大正・昭和 思い出のアルバム桐生』天利秀雄監修 あかぎ出版 1982年より)
画像

G水車(八丁撚糸機の動力として用いられた)風景(昭和16年)(『目で見る桐生・伊勢崎・みどりの100年』郷土出版社 2006年より)

(4)桐生新町
@本町通り現況(桐生市本町)
A本町二丁目、一丁目辺りの景観 4枚
画像

B天満宮拝殿(桐生市天神町) 2枚

(4α)桐生新町重伝建に選定
@「桐生新町 重伝建に選定」の記事(2012年5月19日付朝日新聞群馬版)
A本町通りの街並み(大正時代)
B本町5丁目の通り(大正4年)
C天満宮鳥居前(昭和16年)(A〜C『目で見る桐生・伊勢崎・みどりの100年』郷土出版社 2006年より)

(5)桐生新町から忍山温泉
@中居橋と忍山川(桐生市梅田町、以下A、C同)
A忍山川の景観 2枚
B白幣宮一の鳥居(忍山入口)の絵図(『根本山参詣路飛渡里案内』より)
C忍山湯本現況

(5α)残馬山神社
@白幣神社鳥居の礎石(桐生市梅田町、以下A〜C同)
A残馬峡
B鉄鎖の銘板、旧残馬山神社近く
C岩場に架かる鉄梯子、旧残馬山神社近く

(6)忍山温泉神社
@弁天の小社 2枚(桐生市梅田町、以下A〜C同)
A忍山温泉神社鳥居
B忍山温泉神社薬師堂
C忍山温泉神社石仏
D忍山温泉、温泉汲み上げ井戸跡 2枚

(7)蕪丁
@蕪丁入口(忍川に架かる木橋) 2枚(桐生市梅田町、以下A〜E、G〜H同)
A蕪丁入口の石仏
B六地蔵(長泉寺(梅田町四丁目橋詰)境内、以下D同)
C蕪丁の集落跡、墓地など 5枚
D蕪丁の山王宮跡
E山王宮の猿神
F山王宮の猿神(みどり市小平町茂木地区)
G蕪丁の集落跡、石祠、竹やぶなど 3枚
H蕪丁の山神社

(8)唐松
@唐松に向かう道(桐生市梅田町、以下A〜C同)
A唐松集落跡の石積み
B唐松集落跡の石仏
C唐松集落跡

(9)赤粉、大茂
@忍山林道現況 2枚(桐生市梅田町、以下A、C〜G同)
Aつつ坂(突坂)
B大茂地図 2枚(5万分の1地形図『桐生及足利』昭和27年、現2万5千分の1地形図)
C大茂の石仏
D大茂の旅館跡
E大茂峠(大茂〜高沢) 2枚
F忍山トンネル(林道梅田小平線) 2枚
G大茂沢工事現場 2枚
H桐生市北部の旧峠道地図(筆者作成)

(10)雷神岳(鳴神山)
@鳴神山周辺地図(5万分の1地形図『桐生及足利』昭和27年)
A不動堂瀧(大滝)(桐生市梅田町、以下A〜K同)
B不動堂瀧の石仏
C鳴神山(桐生岳)山頂
D鳴神山(桐生岳)山頂の石祠
E鳴神山のアカヤシオ
F鳴神山山頂からの眺望(南から西 桐生市街地) 3枚
G鳴神山山頂からの眺望(西から北 赤城山、日光連山など) 5枚
H雷神岳神社の御狗像 3枚
画像

I雷神岳神社の御札(『桐生市史別巻』)
J仁田山岳の石祠
K雷神岳神社鳥居

(10α)オオカミ信仰の神社
@三峯神社の御狗像(埼玉県秩父市、以下A、B同)
A三峯奥宮(妙法ヶ岳山頂)の御狗像
B三峯奥宮の石祠
C三峯神社、大口真神の御札
D釜山神社奥の院(釜伏山山頂)の御狗像(埼玉県寄居町、以下E同)
E釜山神社奥の院の石祠
F釜山神社、大口真神の御札
Gニホンオオカミの剥製(東京大学農学部蔵、山梨県立博物館 展示パンフレット『オオカミがいた山―消えたニホンオオカミの謎に迫る―』2007年より)
Hオオカミ(北米産、群馬サファリパーク)(富岡市)

(11)雷神岳(鳴神山)から忍山
@長泉寺本堂(桐生市梅田町、以下A同)
A上ノ原八坂神社

(12)忍山から桐生新町
@城山(桐生市梅田町、以下A〜E同)
A柄杓山城址入口
B柄杓山城址案内板
C城山山頂(柄杓山城址本丸跡)
D鳳仙寺山門
E由良成繁の墓(鳳仙寺境内)
F三宝荒神(押出の荒神宮)(桐生市天神町)
G吾妻権現の石祠(吾妻山山頂)(桐生市川内町、宮本町)

(13)赤岩の渡し
@現赤岩橋(桐生市堤町)
A2代目赤岩橋(昭和16年7月架橋。赤岩橋記念碑の写真)
B赤岩の渡し絵図(「天保巡見日記」より 『群馬県史資料編13近世5』)
C赤岩の渡し付近現況 2枚(桐生市相生町)

(14)赤岩の渡しから細谷
@市野倉付近地図(迅速図「上野 太田町」明治18年) 2枚
A松並木の風景(太田市新田市町)
B市野倉南東側道路(太田市新田市野倉町、以下C同)
C飛行場記念碑「陸鷲修練之地」
D道標(太田市新田小金町)
E脇谷観音(正法寺)(太田市脇屋町)
F飯玉神社(太田市由良町)

 「4資料・史料 −『忍山湯旅の記』に関連した資料・史料を見る−」で添付した資料・史料を以下に示します。

(1)忍山の産業・産物と二渡村の家業調査(明治二年)
表1 二渡村の生業・戸数構成(明治2(1869)年)
「明治二年七月 桐生新町寄場組合村人別家業改請印帳」(『群馬県史 資料編15近世7』)より筆者作成

表2 二渡村の物産・民業、明治11(1878)年当時
『上野国郡村誌16山田郡』(萩原進監修 群馬県文化事業振興会 1987年)「二渡村 物産」の項より筆者作成

(2)彦九郎来訪時期の桐生における織物産業の状況
史料1 天保二年五月 桐生市差配につき願書(抜粋)
(桐生市本町 新居宝氏所蔵 『群馬県史 資料編15近世7』)

史料2 年次不詳 桐生市立替并織物之記(抜粋)
(桐生市本町 新居宝氏所蔵 『群馬県史 資料編15近世7』)

(3)赤岩の渡しの運営(船賃など)について
史料3 安永七年十月 渡良瀬川渡船場運上につき願書(抜粋)
(書上家文書 桐生市立図書館蔵『昔の桐生にふれてみよう』桐生歴史研究会 1996年)

史料4 文化六年四月 桐生新町渡良瀬川渡船場仕来り上申書(抜粋)
(桐生市立図書館蔵 『群馬県史 資料編15近世7』)

史料5 天保九年 『天保巡見日記』(四月二十日の記述より抜粋)
(『群馬県史 資料編13近世5』)

(4)松原の渡し難船一件(安政二年)について
史料6 安政二年 松原の渡し難船一件
(長沢家文書1829 引用は「上州松原の渡し難船一件―飛脚問屋の人馬継立について―」巻島隆『桐生史苑第四十七号』桐生文化史談会 2008年より)

(5)諸資料に見る忍山温泉
史料7 明治三年二月 山田郡二渡村湯宿稼願
(岩鼻県 桐生市立図書館蔵 『群馬県史 資料編15近世7』)

資料1 『山田郡誌』と『上野国郡村誌』から忍山温泉の記述

(6)桐生新町創設についての通説、およびその再検討
史料9 「岩下三郎右衛門覚書」(通称「岩下旧記」)より
(『桐生史苑第十五号』1967年  引用は「荒戸村の『新町』成立―桐生新町の起源―」巻島隆『桐生史苑第五十五号』桐生文化史談会 2016年より)

(7)鳴神山と雷神岳神社
資料2 『山田郡誌』から鳴神山の記述

史料10 雷神岳神社 鐘銘(文化十年)
(『桐生市史別巻』「雷神岳神社」の項)

資料3 昭和初期の登山ガイド(『新しき山の旅』(昭和書房 1942年)から鳴神山の記述(抜粋)

(8)太田・桐生の諸街道
史料11 『毛武游記』渡辺崋山より抜粋
(引用は『桐生市史』より)

 以上、講演会で表示した(準備したが時間不足で紹介できなかったものも含む)写真や図表、諸資料・史料を一覧で示しました。項目だけを書き連ねただけですので、これだけでは内容がよく分からないと思います。
 長くなるので、今回はここまでにします。次回から上記の写真や史料などについて簡単な説明をしたいと思います。

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