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zoom RSS 折々の雑感120 天皇退位へ向けた動き やはりおかしいと思う

<<   作成日時 : 2017/04/05 00:04   >>

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 天皇退位をめぐる動きについて考えたことを書きます。

 天皇の退位を実現させるための法整備に向けて政治の動きが加速しています。3月18日の新聞によれば、衆参両院の正副議長が天皇退位をめぐる「議論のとりまとめ」を立法府の総意として安倍首相に提出した、とあります。その「とりまとめ」において皇室典範の特例法の制定により現天皇の退位を実現すると決められたようです。
 23日の新聞は、天皇の退位をめぐる政府の有識者会議が22日に再開されたことを報じています。この日の会議では4人の専門家からヒアリングを行ったとあります。天皇退位後の称号について「上皇」とすべきという意見が出され、政府はその方向で調整に入る、と記事にあります。
 さらに27日付の新聞で「退位後は公的活動から退く」という現天皇の意向が報じられています。同記事は、退位後の住まいや公務引き継ぎの見通しなども伝えています。
 これらの報道から、政府のみならず宮内庁や皇室内でも現天皇の退位実現に向けて着々と準備が進められていることが分ります。ここにきて天皇退位への動きが一気に進んでいます。政治家も関係する官僚も、天皇の生前退位を心情的に支持する国民をも巻き込んで、国全体が、何の疑いもなく、天皇退位と代替わりというゴールに向ってわき目も振らず突き進んでいるかのような感じを受けます。

 2月初めに「天皇の退位をめぐって」なる文章を当ブログにアップしました。昨年夏の「おことば」以降の天皇退位をめぐる一連の動きに関して率直に感じたことを書きました。例の「おことば」は、内実は天皇自身による退位の意向の表明であり、天皇の政治関与を禁じた憲法の規定に反するのではないかと感じたのです。
 これに関連したインタビュー記事が、国会の「議論のとりまとめ」が政府に提出されたことを報じた同日の新聞に掲載されました。政治学者の原武史氏へのインタビュー記事(「『お気持ち』と政治 退位の意向示され法律が作られる 憲法に沿わぬ事態」3月18日付朝日)です。そこには国をあげて天皇退位へと突き進むなかで見過ごされている問題が提起されています。昨夏に天皇が退位の意向をにじませる「お気持ち」を表明して以降の政治や社会の動向について、天皇の意向が政治に影響を及ぼし、そうした事態を社会が無批判に受容しているのはおかしいことであると原氏は述べています。語られる内容は、おおむね以下のようになります。

 現憲法下では天皇は国政に関与できないはずである。ところが昨夏に天皇が退位の意向を表明した途端、政府が動き出し、国会で議論が始まった。天皇の意思が現実政治に影響を及ぼしている。結果的にせよ天皇の意思が国政を動かしていることになる。これは異例の事態である。
 本来、天皇のあり方は法によって規定されるはずだが、天皇の意思による立法と法改正が行われると、法の上に天皇が立つことになる。
 憲法の国民主権原則や天皇の地位は国民の総意に基づくという規定に従えば、国民の側から天皇退位の意思が示されて立法や法改正に向かうのが本来的な正しい形である。国民の声を受けてその代表である国会議員が発議するのでもよい。
 なぜそうならないのか? それは天皇に対する「おそれおおい」という感情を多くの国民がいまなお有しているからである。近年、国事行為以外の公的活動(被災地訪問や戦地での慰霊など)を行う現天皇の姿が映し出されることで国民は天皇への崇敬の念を強めている。国民が自然な感情として「お年だからお辞めになれば」と感じたとしても、天皇に対して公然とは声に出せない空気がある。もし国民が天皇に向けてそうした発言をしようものなら「身のほどをわきまえない無礼者」と批判される。これが、現在の日本社会における天皇と国民の関係である。

 27日の「退位後は国事行為以外の公的活動からも退く意向」との報道にしても、そもそも一般社会では、ある人がある職務から退けば、その後はその職務には関わらないのが普通であって、天皇が退位後に天皇として行ってきた活動をやらないのは当然のことです。天皇退位後に公的活動から退くとの意向をわざわざ表明すること自体が不自然です。(今回の場合、天皇自身が公的に意向を明らかにしたわけではなく、宮内庁関係者の話として報道されたという違いはあります)
 たとえば会社組織においてある人が退職する場合、その人が担当していた仕事は後任者に引き継がれるか、他の者に分担されたりするのが一般的であり、会社を去った後はその職務には関与しないのが普通のあり方です。退職者が「私は退職したらその仕事はいたしません」とあえて公言するのはおかしなこと。「なに言ってんだ。当たり前じゃないか」など言われるのがおちだろう。
 国の機関にしても同様であって、たとえば安倍晋三氏が内閣総理大臣を辞めることになったとして「退任後は首相の仕事はしない」との意向を改めて表明するということはあり得ないでしょう。わざわざ宣言するまでもなく自明のことだからです。
 ではなぜことに天皇に関しては、こうしたことがあえて報じらるのか? そこには憲法下のあり方を離れたところの実社会における天皇の受け入れられ方が反映されていると思います。それは天皇は国民や政治家とは異なる特別な存在であるという感覚であり、そうした「おそれおおい」という感覚が浸透しているがゆえに天皇の意向なるものがことさら強調されるのだろうと思います。このことをみても、原氏の言う「天皇と国民の関係」がよく示されていると感じます。
 また、「退位後は公的活動から退く」という言うまでもなく当然のことが改めて大きく報じられるのは、天皇制度の今後のあり方を決める上で現天皇の意向が重視されていることの表れでもあります。
 衆参両院正副議長による「議論のとりまとめ」にも、国会は天皇の意向を重く受け止めていることがはっきりと書かれています。「昨年8月8日の今上天皇の『おことば』を重く受け止めている」という文言がある。これを素直に読めば、天皇の「おことば」(つまりは生前退位したいという意向)をきっかけに天皇制度の改変に向けて国会が動き出したというふうに理解できます。明らかに天皇の意向が現実の政治を動かしており、これまでの一連の流れは、結果的にそうなったとはいえ、天皇の国政関与を禁じた憲法の規定に反していると思えます。本来は国民の総意によって決められるべきことが天皇の意向によって方向付けられ、それに沿う形で法律が作られ制度が整備されていこうとしている。こうした状況は、やはりおかしいのではないか。

 ここ数日、横田耕一著『憲法と天皇制』(岩波新書 1990年)を読んでいました。「天皇が政治的な発言をすることは許されるのか?」という問いについて考えていたからです。憲法第四条に「天皇は、この憲法に定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」とあるように天皇が政治に関わる行為を公的に行えないのは明らかなことです。したがって天皇が公的に政治的な発言をすることは許されないということになるのですが、では、公的に許されないとしても私的にはどうなのか、との疑問が出てきます。これについて理論的な裏付けというか、憲法学上はどういう解釈になっているのか、といったことが確認したかったわけです。
 この点について以下のようにありました。
「天皇は私的にも政治的発言を行うことができないとする見解が有力であるが、公的天皇と私的天皇を峻別する立場からは、見解も根拠はない」(P30)
「私的天皇には政治的発言の自由があるとする立場にたてば、(天皇の政治的発言も)問題はないことになろう」(P36)
 公的機関の職務としての天皇とその職務を担っているところの個人としての天皇は区別されるという見方をすれば、天皇が私人として個人的に政治的な発言を行ったとしても問題にはならない(違憲ではない)ということになります。
 ここでいう「公的天皇と私的天皇を峻別する」見解とはどういうものなのか。その大筋を示せば次のようになります。

 現憲法下では制度としての天皇のあり方は、憲法の規定によって決まる。その存在様式は憲法に矛盾するものであってはならず、天皇は憲法に違反する行為はできない。制度としての天皇は主権者である国民のために奉仕する国家機関である。つまり天皇という名称の公務機関があり、それに特定の人間が就任しているということになる。内閣総理大臣という公務機関があり、それに特定の人間(安倍晋三)が就任しているのと同じである。ここでは首相の権限と首相就任者個人の権利は区別される。これと同じく天皇の権能と天皇就任者の自由や権利、義務とは区別されなければならない。公の天皇と、天皇に就任している者の「私」は区別されるということである。よって、天皇の、公的活動と私的活動も区別される。公的な天皇のあり方や行為は憲法に規定されるが、私的天皇のそれはこの限りではない。したがって天皇の立場を離れたところの私的領域における活動や発言は自由ということになる。

 政治家や官僚が、その職務を離れてテレビに出演したり雑誌のインタビューに応じて様々な発言をし、個人的な意見を表明するということはしばしばあります。論壇誌に文章を寄稿するなどの行為もよくあることです。上記のように公的天皇と私的天皇をはっきり分けるとすれば、天皇という職務を離れた私人としての天皇が、そのような形(テレビや雑誌)で発言することも可能だし、問題はないわけです。そうしたことが現実的か、実際にあり得るか、ということは別にしてあくまで制度として理屈の上では可能ということです。
 そうであるならばテレビでの発言も自由ということになりますが、昨年の「おことば」は、語られた内容にしても、それが発せられた形式にしても、あるいは政治や社会の側の受け止め方にしても、そういうものとは大きく異なると思います。公共放送の特別枠での国民に向けたメッセージという形で、形式も異例であるし、本質的には退位の表明(現在の制度下で退位をするためには法律や制度の改変を伴わなければならないということは当然承知の上での発言であり、その意味で露骨な政治的発言である)であり、明確な意図を持った政府や国会への法整備の要請であるとも言えます。マスコミは、退位の意向を強くにじませたお気持ちの表明、象徴天皇を務めてきた当事者としての問題提起などと報じましたが、そうした言葉の言い換えでごまかせるような内実ではないと感じます。

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