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zoom RSS 折々の雑感106 佐川光晴『牛を屠る』を読む

<<   作成日時 : 2016/09/18 00:51   >>

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 佐川光晴著『牛を屠る』(解放出版社 2009年)を読みました。2011年にも読んでいるので読み直してみた、というべきでしょうか。

 なぜ読み直したのか。つい先日、同じ著者による『おれのおばさん』(集英社文庫 2013年)という小説を読みました。『おれのおばさん』は、中学2年生の男子が主人公の、いわゆる青春小説です。この作品中に主人公が奄美大島に行く場面があります。彼は奄美滞在中に島内の食肉センターを見学するのですが、その部分を読むうちに、以前に読んだ『牛を屠る』のことを思い出しました。
 『牛を屠る』は、著者が小説家になる前に埼玉県大宮市(現さいたま市)の屠蓄場で働いていた経験をもとに書かれたもので、牛や豚の解体作業の詳細や屠蓄場で働く人々のこと、著者にとって仕事とは、屠殺とは、などが綴られています。屠蓄場とは、牛や豚などの家畜を解体し食肉にする場所のことですが、著者は、屠蓄場とは言わずに、あえて「屠殺場」と表記しています。その理由や「屠殺」という言葉に対する著者の思いも、著作中で述べられています。これについては後述します。
 『おれのおばさん』における食肉センターの描写は、著者の屠殺場での職業経験がもとになっていると思われ、それを読み進めるうちに『牛を屠る』をもう一度、読みたくなったのです。

 「屠る(ほふる)」とは耳慣れない言葉です。普段はあまり使わないと思います。辞書を見ると「体を切り裂く、切り殺す」とあります。『牛を屠る』における「屠る」は、特に限定して「屠殺」の意味だろうと思います。「屠殺」を辞書で引くと「(肉などを利用するため)家畜などの獣類をころすこと」とあります。
 繰り返しになりますが、『牛を屠る』は、著者の屠殺場での職業体験を綴ったものです。これから社会に出てゆく若者に向けての職業案内という形をとり、屠殺場で行われていること、すなわち、生産農家から搬送されてきた牛や豚が食肉になるまでの過程が描かれています。屠殺場の説明や家畜の解体作業の解説にとどまらず、屠殺という仕事を続けるなかで著者が感じたことや考えたこと、そこで一緒に働いた仲間のことやその仲間への思いなどもおり込まれ、それとともに著者の職業観(屠殺という仕事を経験した上での仕事に対する考え)や屠殺に対する思いなどが語られてゆきます。
 一読して、牛や豚の解体作業を紹介することよりもその仕事を通じて得られた職業観や著者にとって屠殺とは、などを伝えることのほうに重きが置かれていると感じます。もちろん、解体の工程や作業の様子、働く人々の状況なども詳細に書かれ、専門用語や臓器・部位のことなども分かりやすく解説されてはいます。

 私は、実際の解体作業を見たことはありません。したがって、いくら詳細に書かれているとはいえ、解体作業の映像は頭に浮かんでこないし、その光景を想像することもなかなかできません。言葉だけではよく分からない、というのが正直なところです。しかし、具体的にイメージできないまでも、牛や豚を解体してゆく過程の描写は、自分の知らなかった世界が広がるようで、かなり面白く、その世界に引き込まれました。著者の実体験にもとづく身体的な感覚が随所に書き込まれていることがその理由でしょうか。
 解体作業を説明する文体は、あくまでも客観的であり、作業者の動作やナイフの動かし方、解体されてゆく牛や豚の状態などが冷静な筆致で詳細に記述されています。これはこれで深く心に感じ入るところがあるのですが、なによりも匂いや温度(作業場内の暑さ、肉や血に触れたときの熱さ)、感触、手指に伝わる感覚(ナイフを握る感覚、皮を剝いだり肉や関節を断ち切るときの感覚)などが書かれた箇所は、強い印象を残しました。
「こびり付いた糞尿は水を掛けたくらいでは落ちず、皮を剝いた拍子に膿や蛆がこぼれ落ちて、強烈な臭気が鼻を突く」(P13)
「喉を裂いたときに流れ出る血液は火傷をするのではないかと思わせるほど熱い。真冬でも、十頭も牛を吊せば、放出される熱で作業場は温まってくる。切り取られ、床に放り投げられたオッパイからは、いつまでたっても温かい乳がにじみ出る」(P94)
「私は右手で鎖を取り、左手で豚の足を掴んだ。軍手を通して、ざらついた皮膚と太い骨の感触が伝わってくる」(P31)
 ナイフを研いでいるときの気持ちの動きやケガをした(ナイフで手指を切る)ときに何を思ったか、などについて書いている部分も同じく、身体的な感覚に裏付けられた文章として印象深いです。
「こちらの気持ちもナイフの出来に反映する。体調はもちろん、気持ちにゆるみがあるとナイフの出来は覿面に悪くなった。反対に、ナイフを研いでいるうちにどこか落ち着かずにいた気持ちが静まり、いつの間にか砥の粉も浮き出して、上出来のナイフが研ぎ上がることもあった。朝早くに作業場に上がり、思い通りにナイフを研げているときの気持ちの良さは、こう書いていても、ほかに比べようのないものだった」(P55)
「人差し指にナイフが食い込み、肉が断たれて骨で止まる。その感触は、今でも鮮明に残っている」(P99)
「そのときの私は不思議なほど落ち着いていた。傷口から肉が覗き、血も流れている。痛みだって感じていたが、その痛みは可笑しなほど私を動揺させなかった。…痛みの大半は恐怖からくるのではないかということだった。指先の痛みは続いていたが、それはそれだけのものでしかなく、私に与える影響はかつてなく小さかった。…麻酔を射たれて、釣り針のような針で傷口を縫われているあいだも、私は針と糸が肉のあいだを通ってゆく感覚を追いながら、まるで別のことを考えていた」(P102)
 さらに実際に経験した人にしか書けないだろうと思わせる描写も多く、そうした文章には強く訴えかけるものが感じられます。
「皮を剝いだときにあらわれる真っ白な甘皮、外されたばかりの青みがかった灰白色の関節、骨の凹みからこぼれ落ちる透明な粘液。ゆっくり眺めている暇などなかったが、それらは牛の足を取った者だけが見ることを許される光景だった」(P61)
 もう一つ印象に残ったのは、著者の屠殺という仕事に対する思いや職業観が集約された次の一節です。
「仕事は選ぶよりも続けるほうが格段に難しい。そして続けられた理由なら私にも答えられる。屠殺が続けるに値する仕事だと信じられたからだ。ナイフの切れ味は喜びであり、私のからだを通り過ぎて、牛の上に軌跡を残す。労働とは行為以外のなにものでもなく、共に働く者は、日々の振る舞いによってのみ相手を評価し、自分を証明する」(P115)
 本の帯にも紹介されている一節ですが、ここからは著者の屠殺という仕事に対する思い入れの深さが強く感じられます。さらには屠殺という仕事を通じて確立された著者の職業観が色濃く反映されていると思います。
 職能が向上する喜びと他者からの認知・賞賛が仕事を継続させる、と言ってしまえばそれまでですが、日々の仕事をこなすことで腕や技が上達し、それがあるレベルに達すれば共に働く者たちから一人前と認められる。それは「喜び」であり、そのような心情こそが人が仕事を続けるための原動力になりうるということでしょうか。加えて仕事のなかで働きかける対象は、その仕事を続けさせるに値するような強烈で存在感のあるものでなければならない、と主張しているような気もします。
 なぜ「屠蓄場」でなく「屠殺場」と表記するのか、その理由を述べている箇所に次のような一節があります。
「『食肉処理場』や『家畜解体場』と言い換えるのにも不満が残る。それらの一見散文的な表記では、なによりもまず生きた牛や豚が叩かれ、血を抜かれ、皮を剝かれ、内臓を出されてのち、ようやく食用の肉になるのだという事実が隠蔽されてしまうからだ」(P93)
 屠殺される牛や豚の肉や血に触れると熱く、枝肉になって後もなお温かい。「屠」にさらに「殺」という字を重ねて自らの仕事を表現しなければ、そうした「熱さ」に拮抗できなかった、と語っています。そうした牛や豚の「熱さ」もまた著者が屠殺を続けるに値する仕事と信じた理由のひとつなのでしょうか。

 私が食肉について関心を持つようになったのは、山歩きを始めてからです。山のなかを歩いていると、そこに生息する獣類の存在を意識せざるを得ません。山道を歩けば、獣の足跡や糞はしばしば目にしますし、シカやイノシシ、サルなどを時おり見かけることもあります。初めてニホンカモシカを見たときには少し興奮したものですが、山歩きの先輩に聞いた話では、いまは生息数が増加しており、特別珍しいことではないそうです。さすがにクマに遭遇した経験はないのですが、人がクマに襲われたというニュースは毎年、必ず見聞きします。
 そんなことに関心を払いながら山歩きを続けるうちに人と獣との関わりの歴史について思いを馳せるようになります。それは肉や皮を得るために獣類を捕獲し屠殺して解体し続けてきたという歴史であるわけです。いまの食肉の流通を考えてみても、当然のことながら、そこには屠殺と解体の過程が含まれるわけですが、このことは特に意識しない限り見えにくい構造に現在はなっています。
 また山歩きをするなかで猟友会のことを知りました。冬の猟期に林道などで出会うハンターらのオレンジ色の帽子や服装は、冬ざれの景色のなかでよく目立っていました。あいさつがてら言葉を交わすこともあり、猟の話を聞くこともありました。そんななか、一度だけ猟友会の人たちがシカの解体作業をする現場に出くわしたことがあります。その様子を少しだけ見せてもらいました。皮を剝がれたシカの脚は、つるんとした感じで透き通るように白く光っていたと記憶しています。
 解体した後はシカ鍋にして食べるという話を聞きました。そして「そうか捕ったシカは食べるのか」と思ったのです。よく考えてみれば当然の流れともいえるのですが、シカを銃で撃つ→解体する→肉を食べる、という一連の流れに改めて気付かされ妙に納得したような心持になったのでした。
 その後、クマの猟などにも関心が広がり、マタギや現代のクマ問題(保護か駆除かの対立)などをテーマにした熊谷達也氏の一連の小説(『邂逅の森』、『相剋の森』)や秋田県阿仁のマタギの生活を追った、写真家によるフォトエッセイ(田中康弘著『マタギ 矛盾なき労働と食文化』 竢o版社 2009年)などを読みました。『マタギ 矛盾なき労働と食文化』にはツキノワグマのけぼかい(解体)の様子が写真で掲載されており、生々しい写真はやや刺激的ではありますが、興味深く読みました。

 こうした流れのなかで佐川光晴氏の『牛を屠る』にたどり着いたのですが、よくよく思い返して私の食肉と屠殺への関心の源泉を頭のなかでたどってみると、もっとずっと以前の記憶と経験にさかのぼれることに気付きます。
 私の母の実家は養豚業を営んでいました。もっと正確に言うと、母の実家を継いだ者たち(つまりは私のいとこたち)が養豚場を経営していたのです。その家は私の実家のすぐ近所だったこともあり、豚舎で飼育されていた豚の様子や出荷の際に豚がトラックに積み込まれる光景などは、子どものころによく目にしていました。積み込まれる豚の抵抗は激しく、キーキーと甲高い物すごい声で啼いていました。豚がトラックに乗せられるのを嫌がるのはその後の運命を理解しているからだ、と誰かが言っていました。豚舎から漂う特有の臭気も記憶に残っています。
 屠蓄場の話もたまに耳にしました。その話は、おもに私の父から聞きました。おそらく父は、屠蓄場の様子を実際に知る私のいとこたちから聞いた話を私に話していたのだろうと思います。父たちは、屠蓄場ことを「屠場(とじょう)」と言っていました。細かな話はほとんど忘れてしまいましたが、豚を殺して切って肉にする場所を「とじょう」と呼ぶことは小学生のときに父からの話を通じて知りました。そのころは「とじょう」という音だけを聞いていて、「屠場」という文字やその意味は、もちろん理解していなかったと思います。
 年に数回でしたが、その家から豚の塊肉や豚モツをもらいました。父はモツ煮込みが好きで、普段は料理をしない父もモツ煮込みの味付けは自分でしていました。みそやしょう油で味付けをし、いく晩か煮込んで油が浮きどろどろになったモツ煮込みを、子ども心に見た目は気持ち悪いと感じながらも、味はおいしいと思って食べていました。塊肉は、ショウガやネギと一緒に茹でて、茹で豚にしたり、そのままスライスしてフライパンで焼いてしょう油をかけて食べたりしました。それらの肉は、肉屋で買うものとはどこか違っていて、ぶ厚く切っても軟らかくておいしかったと記憶しています。
 ただ、子どものころの私は、そうした豚肉を口にしながらも、豚舎で飼われている生きた豚と調理された後の豚肉を直接結び付けて考えることはなかったように思います。生きた豚を殺し解体して肉にするという過程は、すっぽり抜け落ちていたのです。
 
 『牛を屠る』を読んで感じ考えたことを勢いで書いてしまったところがあるのですが、誤解を招くことも考えられるので、読み返しながらこの文章をアップするかどうか迷いました。「何も知らないくせにえらそうに。それならお前がやってみろ」と言われそうな気がして。そんなことを言われたら途端に気弱になって削除してしまうかもしれません。

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