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zoom RSS 折々の雑感92 郷土史講座「桐生の山〜山紫水明のまち〜」を聴く 

<<   作成日時 : 2015/12/06 00:35   >>

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 11月28日(土)、増田宏さんの講演「桐生の山〜山紫水明のまち〜」を聴きに行きました。会場は桐生市立中央公民館403号室、桐生文化史談会主催の郷土史講座の一つとして開催されたものです。

 『山紫水明〜桐生の山〜』(みやま文庫)という本が出版された話を当ブログ3月の記事に書きました。『山紫水明〜桐生の山〜』は、桐生地域の山について体系的にまとめられた本です。その本の著者である増田宏さんによる桐生の山についての講演です。

 今年の3月に『山紫水明〜桐生の山〜』を送っていただいた後、その5月に、桐生市民文化会館で、増田さんに偶然お会いしました。
 5月24日(日)に、郷土史講演会「山に生きた人々〜歴史の中で山村を見直す〜」が市民文化会館で桐生市文化祭の一環として催されました。増田さんもこの講演会を聴きにいらしていて、会場のスカイホールへ向かうエレベーターにたまたま乗り合わせました。
 そのときに増田さんの講演が11月に予定されていることを聞き、ずっと楽しみにしておりました。

 ついでながら、この「山に生きた人々〜歴史の中で山村を見直す〜」という講演は、日本史が専門の白水智(中央学院大学教授)氏によるもので、山村とは何か、山村の暮らしとは、といったことについて、長野県秋山郷や山梨県早川町を事例に、そこにおける歴史過程を振り返りつつ考えるといった内容でした。
 過疎で後進的な地域として一般に捉えられている山村は、実は多様な資源があり、多様な生業が成立しうる豊かな場所であったということが報告されました。地域に残る史料を通じて山村の生活や産業を歴史的に考証することで、そうした山村の状況が明らかになるとのお話でした。
 講演の最後に、平地・都市の価値観で山村や山の暮らしを画一的に評価することに疑問が呈され、これからの社会・文明のあり方を考えると、いまこそ山村の再評価が必要ではないか、との提言がなされました。
 里山歩きをしていると、かなり山奥の、生活には不便と思われる山深い場所にも昔から集落があって多くの人々が暮らしていたことに気づきます。その際に、そこで暮らしていた人々はどうやって生計を立てていたのだろうと疑問に思うことがありました。
 この講演を聴いて、かつて山には林業や鉱山業、狩猟、採集など多様な産業・生業があり、それらを存立させ大勢の人を養えるだけの資源が山村には豊富にあったということが分かりました。山村集落の繁栄をもたらした源泉というか、その要素を多様かつ重層的に内包する「山の豊かさ」といったものに合点がいったのでした。このような意味でとても興味深く有意義な講演でした。

 さて、増田さんの講演では、まずはじめに増田さんのこれまでの登山歴と『山紫水明〜桐生の山〜』執筆の動機が話されました。
 中学生のときにお父さんに連れられて登った足尾の庚申山で深山の魅力を知って以来、皇海山や足尾山塊など渡良瀬川源流域の山と沢を一通り歩き、その後は上信越やアルプス、アンデスなど国内外各地の山に登ったそうです。そして、ここ10年ほどは地元桐生の山に目を向けて、地域の山を意識的に歩くようになったとのこと。
 桐生の山についての本を書こうと思ったのは、近年、山で仕事をする人が減って山名や地名、山の伝承や信仰などを知る人がいなくなっており、それらのことが忘れられ失われてしまう前に記録に残しておく必要性を感じたため、と語っておられました。
 なお、桐生の山を細かく歩き、地域の山の情報に精通した人は以前から何人かいらしたそうで、そうした人たちから得た情報と自ら歩いた見聞を合わせて、今回、桐生地域の山について『山紫水明〜桐生の山〜』をまとめられたとのことです。

 次に、桐生市街地を囲む山々についての紹介がありました。各方角別に市街地から見えている山稜の画像が示され、山名の解説がなされました。確かに普段見えている山々の名前を細かく言える人は少ないようです。
 私の住む太田市西部から北側を望むと、晴れて空気の澄んだ日には、赤城山から袈裟丸山へと続く長大な稜線がきれいに見渡せます。この地域では赤城山は有名で、ほとんどの人が知っていると思われますが、その右隣(桐生や太田から見て東側)に大きくそびえる袈裟丸山は、登山をする人を除けば、その知名度はかなり低いようです。
 かくいう私も十数年前に太田市に住み始め、この地域の山を歩くようになってから赤城山の隣に大きく見えている山が袈裟丸山であることを知ったので、えらそうなことは言えないのですが。赤城山よりも袈裟丸山のほうが標高が高いことを人に話すと、たいていの人が「へえー」と言ったり、びっくりしたりします。

 その後、桐生地域の代表的な山について個別の紹介・解説がありました。取り上げられたのは、吾妻山、鳴神山、根本山、残馬山、三境山、仙人ヶ岳、八王子丘陵、赤城山、袈裟丸山などです。山名の由来とその呼称の変遷、山の信仰のことなどが話されました。 
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 最後に、「山のまち」である桐生の自然環境や特性を生かしたまちづくりの提言がなされ、山名・地名の記録・継承に関する意見が述べられました。
 増田さんが登山のために各地の都市を訪れた経験からすると、桐生のまちは、山稜に囲まれ、渡良瀬川、桐生川など川の流れがあって、都市景観としてとても優れているそうです。とくに市街地からすぐ近くのところに山が迫っており、そこにまちが広がっている景観が美しい、とのこと。
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 例えば吾妻山など桐生のまちを俯瞰できる場所(写真上)に登ってまちを見下ろしてみると、そのことが強く実感できると言います。そこで、工場誘致などを通じた産業都市を目指すのではなく、山が近く身近に自然に親しむことができるため、自然環境に恵まれた暮らし易い住宅地としてのまちづくりをこれから進めたらどうか、と提言されました。
 山名・地名に関しては以下のように述べられていました。近年、インターネットが普及し、個人の山行記録などがネット上に数多く散見されるようになり、それらのなかに古くから伝わる山名を無視して個人が勝手に命名した山名が見られ、そうしたものが流布している現状がある。山名・地名は郷土の文化・歴史の一つであって、いいかげんな命名は、おおげさに聞こえるかもしれないが、いわば「文化の破壊」ではないか。

 長年にわたり各地の山を歩かれてきた増田さんのこうした提言にはその経験に裏打ちされた強い説得力があると感じました。講演後の質疑応答、意見交換の場でも、増田さんのまちづくりに関する提言、地名継承についての意見には賛同・共感する声が多くあがっていました。

 総じて「やっぱり山はいいな」と感じられる講演でした。最近はあまり山には行けていないのですが、もっといろいろなところを歩いてみたいと強く思ったのでした。

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