電撃! 激坂調査隊が行く

アクセスカウンタ

zoom RSS 折々の雑感91 柿の話

<<   作成日時 : 2015/11/17 23:55   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

 一番の旬はとうに過ぎてしまっていますが、今年の秋は柿が豊作だったようです。
 これが全国的な傾向なのか、地域的なことなのかは分かりません。ただ、うちの近隣に限っていえば、あちこちで目に留まる柿の木は、どれを見ても枝もたわわに実っておりました。

 よその家の柿の実のなり具合に目がいくようになったのは、ちょうど柿の実が熟し始めるころに家人がスーパーで柿を買ってきたからかもしれません。
 私には柿を買って食べるという感覚がこれまでありませんでした。柿といえば庭の木になったものを採って食べるものであり、また、近所からいただいて食べるものでありました。
 いま住む家の庭に柿の木はありませんが、実家の庭には柿の木がありました。近所を見渡しても、たいていどの家にも柿の木があって、実った柿を採ったりもらったりして食べる、というのが普通のことでありました。
 子どもの頃にそうした環境で育ったので、柿を買って食べるということに「なんでわざわざ柿など買うのだ。柿なんかそこらじゅうになっているではないか」という思いがありました。

 それを家人に話すと、確かに近所に柿の実はたくさんなってはいるが、それはよその家のもので勝手に採れるわけではないし、庭に柿の木がある知り合いもいない、と返されました。さらに、目に留まる柿の実がすべて甘柿ということはなく、むしろ渋柿の可能性のほうが高い、とまで言います。そういうわけだからいま柿を食べるには買うよりほかに方法がない、とのこと。
 それはその通りで、反論のしようもなく、そのまま受け止めましたが、「なんでわざわざ…」という思いが完全に消え去ったわけではありません。

 それからというもの通勤途中や所用で外出した時などに道すがら柿の木を見つけると、その実の付き具合を仔細に観察するようになりました。そして、「どこの家の柿の木もたわわに実っている。今年の秋は柿が豊作らしい」ということを認識するに至るわけです。

 子どもの頃は秋になるとよく柿を食べたものですが、大人になってからは柿を食べることがなくなりました。一番最近食べたのは果たしていつのことだったか、いくら思い返してみてもそれを思い出せないくらいまったく柿を食べていないことに気付きます。
 祖母がまだ健在のころは、甘い柿はもちろんのこと、渋い柿も干し柿にしてよく食べていました。干し柿の、にゅるっとした独特の食感、甘み、皮をむかれた渋柿の実が軒先に並んで吊るされていたことなどが思い出されます。いまはそうした光景もあまり見かけなくなりました。

 昔に比べると人が柿を食べる量や頻度はずいぶん減っているように思います。
 季節や旬を問わず一年中多種多様な果物がスーパーの棚に並び、果物に限らず生の柿よりも甘くておいしいお菓子が安く簡単に入手できる昨今です。時季だからといって柿をわざわざ食べる理由もない。
 もしかしたら昔ほど柿の実を採らなくなったために柿が豊作のように見えるだけなのかもしれません。

 そんなことを考えながら口にしてみたスーパーの柿は、適度な柔らかさで、口当たりはほんのりと甘く、自分が知っていた柿よりも余ほど上品でおいしい食べ物のように感じられました。柿といえば、もっとガリガリと硬く、甘柿ではあってもどこか渋い後味が残る、そんな柿のイメージが私にはありました。
 思いのほかおいしい、という感想を柿を買ってきた当の家人にもらすと、当り前ではないか、売るために栽培された柿であるから収穫までにいろいろと手間がかかっているはずだし、きっと味の改良も重ねられているはず、庭や野辺の木に勝手になった柿と一緒にするな、それほど高級というものでもないが1個200円近くするのだ、というようなことを言われてしまいました。
 それもそうだと納得はしたものの、柿をめぐる些細な議論で打ち負かされ、さらに子どもの頃の柿のまつわる自分の記憶や思い出までもがなんだか否定されたような気がして、しゅんとした心持ちになってしまったのでした。

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
折々の雑感91 柿の話 電撃! 激坂調査隊が行く/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる