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zoom RSS 折々の雑感88 清志郎さんについてとりとめもなく思うこと

<<   作成日時 : 2015/05/02 01:58   >>

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 5月になりました。先月は4月にしては雨が多かったような気がします。その雨があがるごとに木々の緑がその濃さを増していきました。
 新緑の季節が訪れてGWが近づく頃になると、ここ数年は忌野清志郎さんのことが思い出されます。清志郎さんは、2009年の5月2日に58歳で亡くなりました。清志郎さんが亡くなってからもう6年になるのですね。まったく早いものです。
 とはいえ、CDやビデオ映像のなかの清志郎さんしか知らないわけで、亡くなってから6年と言われてもあまり実感はありません。CDを聞くたび、あるいはライブビデオを見るごとに、生前と同じようにいまもどこかで歌い続けているように感じています。

 清志郎さん(あるいはRCサクセションというバンド)を知ったのは、たぶん中学生の頃(80年か81年?)だと思います。「雨あがりの夜空に」のライブテイクをラジオで聴いたのが最初でしょうか。その後の活躍はリアルタイムで見ていますが、RCサクセションや清志郎さんの曲を好んで聴くようになったのは、ずっと後になってからです。
 当時は、奇抜な衣装や派手な化粧がむしろ苦手で「なんだろう、この人たち。ヘンな人たちだな。」というふうに思っていました。
 歌詞から受ける印象もなんだか不良っぽかった。「雨あがりの夜空に」のバイクでぶっ飛ばすなんて暴走族みたいに思えたし、「トランジスタラジオ」は授業をさぼって屋上でラジオを聴くという歌詞で、どうやら煙草も吸っているらしい。
 その頃は校内暴力や暴走族が社会問題になっていた時代でした。なにしろ中学生の頃の私は、当時ニューミュージックと呼ばれていたアリスや松山千春、オフコースなどを好んで聴いていましたので。横浜銀蝿やアナーキーなど不良っぽいバンドも流行っていて、そういうバンドと同じくくりで見ていたような。いま思うと、全然違うのですが。

 私がRCサクセションの曲をよく聴くようになったのは、清志郎さんが自転車に乗り始めて、ロードバイクに乗るロックミュージシャンとして知られるようになって以降のことです。
 同じ頃、テレビやラジオの番組で普通におしゃべりする清志郎さんを見聞きする機会もあり、熱く激しいステージパフォーマンスからは想像もできないような物静かで優しい話し方に温厚な人柄を感じて好きになっていきました。

 印象深いのは2002年(?)にNHKで放映された「ツール・ド・奥の細道」です。
 松尾芭蕉の「おくのほそ道」のルートを辿ってロードバイクで東北を旅するという番組でした。旅先で出会う人々との会話もぼくとつとした感じでほほえましかったし、なによりも「なぜ自転車に乗るのか?」という質問に「孤独になれるから」と答えていたのもカッコ良かった。

 命日も近いということで、4月の後半はRCサクセションのCDを聴いたり、清志郎さんが出演したテレビ番組の録画を見たりしていました。
 2008年2月6日に放映された「SONGS」(NHK)は、喉頭がん治療後の復活ライブ。スタジオにファン500人を集めてのステージで、闘病前と変わらないパワフルな歌声を披露していました。いま聴くと「スローバラード」に出てくる「悪い予感のかけらもないさ」という歌詞が、なにかを暗示していたようで、悲しく聴こえてしまいます。
 亡くなった8日後に放映された追悼番組「愛し合ってるかい? キング・オブ・ロック」(NHK)では、古いライブ映像がいくつか流れるのですが、とくに1983年1月、番組「YOU」でのスタジオライブの熱狂、観客と一体となってのノリはすさまじいです。この頃のRCサクセションがやっぱり一番好きです。ほかにインタービュー映像で「夢は世界の平和」と真摯に語っていた姿も印象に残りました。

 そんなビデオを集中的に見ていたなか、4月15日には「高浜再稼働認めず 即時差し止め 初の仮処分」という記事が新聞の一面に載りました。福井地裁が関西電力高浜原発3、4号機の再稼働を禁じる仮処分決定を出したことを報じています。
 同じ紙面に「福島第一原発の事故以前なら想像もできない判決である」との元裁判官の意見が載っていて、「原発訴訟ではこれまで住民側が勝訴した例はごくわずか」で「裁判の効力によって原発の稼働が制限されるという事態は日本で初めて」であって「本当に画期的な決定」(2015年4月15日 朝日)とあります。
 この記事が載った8日後の23日の新聞には、鹿児島地裁が九州電力川内1、2号機の運転差し止めを求めた住民の仮処分の申し立てを却下したという記事が載りました。原発の再稼働をめぐって相反する裁判所の決定が続けてなされました。

 あれだけの事故を起こしてしまった以上、原発の再稼働はすべきではないと私には思えるのですが、どうもそう単純には考えられないようです。

 清志郎さんが亡くなって2年後に東日本大震災があり、福島第一原発で大事故が発生しました。
 1988年、アルバム『カバーズ』に収録された「サマータイムブルース」で、「日本の原発は安全」なる喧伝に対し「さっぱりわかんねえ 根拠がねえ」と清志郎さんは歌いました。
 その20数年後に本当に原発事故が起こりました。清志郎さんが震災後も生きていたら、どんな発言をし、いかなる行動をとったのでしょうか。

 最後に世界平和を希求し自転車好きだった清志郎さんの言葉を引用して、このまとまりのない雑記を終わりにしたいと思います。

 「平和でなければ楽しく自転車に乗れない、もっと平和の象徴の自転車を流行らせようぜ!」
画像
(「シマノ鈴鹿ロードレースコンサート 2003年8月30日」の記事より。『サイクルスポーツ 2003年10月号』)

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